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堤幸彦さんの作家性とその源流

堤幸彦さんは、「金田一少年の事件簿」や「ケイゾク」、「TRICK」を観れば分かるとおり、映画表現や演劇表現から自立した“ドラマ演出”を確立された方である。
トリッキーなカメラワーク※1))と、人を“小馬鹿”にしたような演出は
(この“悪意”は森田芳光さんの流儀に倣うものなのだが、それへの言及は別の機会に譲りたい。)
当時の若者たちの熱狂的な支持を集め、ドラマ界に新風を吹き込んだ。
僕がこの中で熱心に観たのは「TRICK」位なのだが(それも後追い)

この作品の中で僕が心魅かれたのは毎回出てくる宗教や土着信仰の信者集団の描写だ。
この中の信者集団はそうとう“ドラマ的”に戯画化されていて、堤さんの強烈な悪意を感じさせるものである。



学校の集団生活に馴染めず、組体操の練習時に教師が絶叫した「集団の美」「集団の美しさ」に違和感を覚え
このまま体操服を着ている生徒全員のあばら骨が自律的に勝手に折れてしまえばいいと思うくらい
“集団”に対してトラウマを持っている僕は集団を小馬鹿にし
醜く描く堤さんの演出に勝手にシンパシーを異常なまでに強く抱いたものだった。

で、そんな堤さんが監督された「二十世紀少年」である。ファンの方には申し訳ないが、この映画に対する僕の評価は辛くならざるを得ない。箇条書きでダメだし、でも後から堤さんの作家性のコアの部分に迫っていくので安心してね!



・顔見世映画なのに全然嬉しそうに撮ってない

婆さん役の研ナオコさん
研ナオコ_mini



そして伊丹さんの映画の常連である洞口依子さん
horaguchi



或いはタカアンドトシさん
takatoshi

等などギョーカイ的でありつつも“いい顔”を揃えたキャスティングなのだが
ぜんっ!ぜん嬉しそうに撮っていない。キャストの“顔”で観に行った僕はしおしおのぱ~になってしまった。


顔見世映画は「どうです、この顔!」と嬉しそうに、歌舞伎で見得を切るように撮らなければいけない。
ちょいと余談になるけど「薔薇の名前」という映画なんかは顔のドアップを増やすことで
物凄く嬉しそうにキャストの“いい顔”を撮っている。







・音楽を変えるだけで違う。

とにかく当時の時代を感じさせる音楽を流せばそれだけで“聞きばえ”が違う。
例えば、ラストのともだちさんがお面を外す時には
gekkou



BGMに「月光仮面」を流せばよかったのではないか。

どこの誰だか知らないけれど、誰もがみんな知っている
「正義の味方よ、善い人よ」も皮肉に聞こえて、いいと思う。 







ホームレスの方たちがボウリングの話をしているときは
nakayamaritsuko



「さわやか律子さん」をラジオから雑音交じりに聞かせ







諸星壇さんが突き落とされる駅の発車メロディは
densya



「ウルトラセブンの歌」にする


ハ長調に転調して「♪モロボシダンの名を借りて」の部分を抽出、編曲すればいいと思う。

という“お遊び”も必要だったのではないか。




及川光博さんが歌っていた「愛・ROCK・友」は
akusyu



「世界の国からこんにちは」と



「若い旅」

の混成パロディなのだからそこも強調すればよかったのではないか。



もっとも第二章では、「世界の国からこんにちは」を「ハロハロ音頭」としてもっと露骨にパロられているのだが。



要は「二十世紀少年なんだから、もっと当時の音楽を使えばよかったのではないか」という事だ。
まあ予算の都合とかもあると思いますが、プロデューサーの方が何とかしなかったのか。

ダメだしおしまいっ!






で、この映画の美点は何かというと“ともだち”の信者の気色悪さ、気味悪さ、そしてその集団を小馬鹿にしたような目線である。
syudan



これは最早職人芸のレベルにまで達している。
sonoakanbo



コンビニに集団が押し寄せるシークエンスはもう、何も言うことがない位素晴らしかった。
hysteric





「あの部分は本当に上手いんだけどなあ・・・」と映画全体に対しては辛口ながらも、“ともだち信者”のシーンに対しては、僕は一定の評価をしていて、尚且つそれが堤さんの作家性だとみなしていた。

 しかし、その作家性がまさか堤さんの暗い過去を反映したものであるとは、全く思い至らなかった。犬も歩けば棒に当たる。ネットサーフィンをしていたらトンでもない記事にぶち当たってしまった。

以下は古崎康成さんというドラマ研究家の方がブログの記事に書かれた文章の引用である。

(収束させず、拡散した結末がむしろ好ましかった『SPEC』より)
http://tvdramadb.blog23.fc2.com/blog-entry-773.html


>堤幸彦ドラマでは、展開上、ラストで善が悪に勝つことが多いのだけど
>それは堤幸彦さんの中でほとんど「夢」「願望」でしかないように映るのです。
>根本的なところで、堤幸彦さんは、善が勝つとは思っていない。そんな感覚がなぜか伝わってきてしまうのです。>2000年ごろだったでしょうか。
>私は、ある書籍の堤幸彦さんインタビューの取材で同席させていただいたことがあります。 
>その中で堤幸彦さんがふと口にされたのがかつて学生運動にも関与されていて
>凄惨な友の死を経験されたということでした。
>その場でその話題はそれっきりで 堤さんは具体的な「悲惨な経験」の内容を語られませんでしたし
>その書籍でもその部分はカットされ記事になりませんでしたが
>『ケイゾク』でのあの陰惨な 後半の展開も
>そういうご自身の、かつての経験、対立するセクトとの凄惨な争いの記憶
>といったものが反映されているように聞こえました。 
>そして、そういうご自身の学生時代の鮮烈な経験というのは
>ご自身の中での人生観にも大きな影響を及ぼしているように映るのです。
>いつも堤ドラマで感じられる、あの暗さ、そしてラストの不自然なまでの「善」の勝利。
>これらの根底には、そういう哀しい堤さんの経験と思いが隠されているような気がしてならないのです。 
>ラストの「善」の一応の勝利は、何か絵空事のような、とってつけたような感じになってしまう。
>それは「夢」であって現実にはありえない。
>それはそれで堤幸彦さんという作家の深い思いの一端が感じられるのです。




 
堤さんが一貫して気色悪い、薄気味悪く戯画化された集団を描き続けるのは
学生運動のセクトという“集団行動”に対するトラウマが基底にあったからなのかと吃驚すると同時に何とはなしに腑に落ちてしまった。
60
ikenie
nakama





堤さんの一連の作品、それ自体の質にバラつきはあったかもしれないが
“熱に浮かされた同調圧力に弱い日本人”の姿はどの作品においても“リアル”だったからだ。



 しかし、自身のトラウマであるセクトの一連の様相を宗教だったり土着信仰の信者集団に仮託し
戯画化して小馬鹿にする演出を施すことで、自分が学生運動に関わってしまったことや
そのことで友を亡くしてしまったことへの贖罪に近い行動をとるなんて本当に気が滅入る位、重い話だ。
何かの番組で日本人をテーマにした作品を撮りたいと仰っていたが、それも含めて重い、ということでお開き。






※1

このキャメラワークは実相寺昭雄さんの影響を指摘されることが多いが、実相寺さんのキャメラワーク自体も円谷幸雄さんとキャロル・リードさんの影響下にあるように思える。これも研究成果があがってから書きたいと思います・・・
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テーマ : 日本映画
ジャンル : 映画

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