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「ミュウツーの逆襲」の問題点~首藤剛志さんとパラレルワールド~

注:
本稿を書く上で捨象、なるべく表現を柔らかくするためにボカした書き方をした部分が有りましたが
ぼかしすぎて的外れのように見えてしまったことで
コメントでそれが不評だったことと、分かりづらかった部分があったので
追記・改訂して直接的かつ、なるたけわかりやすい表現を、わかりやすくしました。

あと首藤さんのコラムを「読め」と書かれていましたが、予めひと通り読みさらっていましたので
首藤さんのコラムを引用して、逐一作品と照らしあわせて細部を検証し改訂するようにしました。
エンタメ大好きさんご指摘ありがとうございましたm(_ _)m

また、故人を非難するものではなく、故人の作風を再発見し評価するための批評であることを
予めご理解くださいm(_ _)m





今回は現在も人気を博している「ポケモン」の映画「ミュウツーの逆襲」の問題点と
その脚本家、首藤剛志さんの世界観について語ろうと思います。
意外なことに、押井守さんやあがた森魚さん、果ては稲垣足穂さんもこの話に関わってくるので
「なんだ、子供向けアニメの話か」と鼻で笑って立ち去らないで、最後まで読んでいただければ幸いです。

さて
実を言うと僕は元々「ポケモン」のアニメにそれほど思い入れがある方じゃないんですよね。
そんな世代でもないですしね。
事情あって、偶々目にすることはあったけど、主人公サトシさんの大正義っぷり(毎回最終的に勝つ。「一回くらい敗北の味を知るか、負け越せや」と思った。)にずっとイライラしていた。(←大人気ないナア)

訳あって見た「ミュウツーの逆襲」も脚本の構成とありように不満と疑問しか残らなかった。
お話の出だしは面白い。クローンとして生まれたミュウツーさんが自己の存在意義を問うべく
人類へと復讐を企てる。倫理的にも興味深いねえ。
1_mini.jpg
何かエヴァっぽいセカイ系な出だしである。

でこのミュウツーさんが「自己の存在意義」なるものを獲得して、人類と和解するなり、何なりするか
或いは「交渉決裂」して、「VSジャリボーイ君」とかそういうちんまいスケールではなく
人類全体との最終戦争でもすれば別に問題はないのです。


ところが彼の「存在意義」が何なのか、お客には明確に提示されないままにお話は終わっちゃって
ミュウツーさんも他のポケモンクローンと一緒に文字通りフェードアウトしちゃうんですね。
2_mini.jpg


で、まあこれは脚本家の首藤さんもコラムの中で書いているんですよ。

>もっとも、そんな難しそうな哲学的なことを言い出して
>その答えが「ともかく、生きているんだからいいんじゃない」では、肩すかしかもしれないが……。

http://www.style.fm/as/05_column/shudo180.shtml

>「自分とは何か?」の答えをミュウツーはまだ、見つけだしてはいない。

第179回 『ミュウツーの逆襲』クライマックス



ま、いいですよ。フェードアウトした先のシマかどこかで探されるんでしょうから。


で、ここですね。

>その答えが「ともかく、生きているんだからいいんじゃない」では、肩すかしかもしれないが……。


そうそう、ジョーイさんも言ってるじゃないかと。
「本物だって、コピーだって・・・今を生きてる」
3_mini.jpg
アメリカ映画でも日本映画でもそうなんですが、常々こういうことを映像で語らせなくて台詞で言わせるのはどうなのよ・・・・


ところがミュウツーさんこのジョーイさんの発言を真っ向から否定なさってるんです。


>いつか、コピーをコピーとしてではなく
>本当に存在する生き物として認知してくれる日まで
>コピーの存在は世の中に知られないほうがいいのかもしれない。
>自己存在を否定するのではなく、コピー達の自己を存在させるためには
>コピーという存在の記憶を世の中から消すしかない。

第180回 ポケモンの涙とミュウツーの記憶抹消より


おいおい、じゃあやっぱ、ジョーイさん間違ってんじゃん。



>「本物だって、コピーだって・・・今を生きてる」

ミュウツーさん「いーや違うね、コピーとしてじゃなくて本当に存在する生き物として認知してほしい。」

>「ともかく、生きているんだからいいんじゃない」

ミュウツーさん「なんか周りの情況が生きてるからいいじゃないだけではすまないみたい。
だからフェードアウトして存在をみんなの記憶から消すことにして、余所のシマに移るぜ。」


・・・共存、併存せんのかよ・・・だからいきなりシマに行くことも評価できない。
(続編では共存志向らしい、評価したい!)


ここが僕にしてみれば「クローンとしての存在の倫理問題」から逃げてるなと
感じてしまった部分なんですよ。ジョーイさんのセリフに対して
「違う!“コピーだって”なんて言うな」みたいに歯向かうならいいけど
結局のところ

人類「コピーでも生きてればいいじゃない」

ミュウツーさん「本当の自分としてみてほしいからその日まで消えます」


で、お互いに決着がつかないまま平行線の独り合点で終わっているんです。
だからジョーイさんのセリフは単なる道徳論でしかないよ、と。
ミュウツーさんの生きる動機はコラムに書かれてるとおり違うよね、と。
じゃあどうしてジョーイさんにあんなセリフを言わせたんだろうって問題になるんですよ。
結局、彼女は無理解な人類の代表なのかってことです。


ま、いいでしょう。

で、この後
ミュウツーさんが「本当に存在する生き物として認知」されるまで「シマに隠遁しよう」
と考えるキッカケを与えるのが、サトシさんの石化と涙ですよ。

4 _mini

>ともかく、喧嘩やバトルによる自己存在の証明は、空しいし悲しい。
>誰かに止めてほしい。
>それを感じていても、決着がつくまで終わらない。
        (中略)
>存在するはずのない種類の人間がいて、しかし、もう息をしていない。
>「自分たちの戦いでとても大切な存在を失った」
>悲しい……喪失感の悲しさが涙になる。
     (後略)
>ミュウツーは、自分を作りだした人間を信じてはいない。
>ただ、サトシのような人間のいる希望は持てる。

うん、そうね。

で、ここでもジョーイさんとミュウツーさんの対比の問題と同じように
自己存在を賭けた闘いによって人間を喪失してしまった、哀しい。
→復活してうれしい→じゃあ、消えるは→えっ、どうして?
っていうふうになります。

人間の喪失は哀しいですし、自己存在の闘いはくだらないと。
でもそこから、消えますだと飛躍がありすぎるんです。

オリジナルとして認めてもらう闘いはくだらない→でもやっぱりオリジナルとしてみてほしい
ならば、闘いではなく別の方法でオリジナルとして見てもらう方向を
模索すべきではないかとおもうんです。
オリジナルとして見てもらう時を待とうとしてるのは続編でわかるんですが
この映画では最後、消えちゃうんですよ。

>サトシのような人間のいる希望は持てる。
じゃあなぜ彼に自分の存在の意義、思いを託さないのかと。


でもまあ文字通りフェードアウトしましたからミュウツーさんの中では
決着がついたんでしょう。
いいでしょういいでしょう。


>本物のポケモンであるミュウも幻のポケモンと呼ばれている以上
>幻のポケモンでい続けたい。
>こうしてミュウツーは、『ミュウツーの逆襲』で起こった事をなかった事にして
>みんなの記憶から消してしまう。
>「ミュウツー、我はここにあり」と言える日まで……。



で、ここからなんですよ僕の本当に言いたいことは。

いや、ミュウツーさんはそれでいいですよ、それで。
問題は首藤さんが「ポケモン」の主人公と明言しているサトシさんですよ
サトシさん。


>なぜ、カスミは、主人公サトシとともに旅をしているのか。


>『ポケモン』のテーマは、ポケモンという架空の生物と人間のかかわり
>そして、サトシという少年(これはすべての人間の少年少女期を意味する)の
>よきにしろ悪しきにしろ大人への成長である。
>少なくとも僕が『ポケモン』のシリーズ構成を引き受けたときに、直感的に決めたテーマがそれだった。

http://www.style.fm/as/05_column/shudo201.shtmlより


サトシさんどうなったかって?


このあとサトシさんご一行はな、な、な、な、なんと「ミュウツーさんとの戦いが行われる以前」に戻っちゃう、ロールバックしちゃうのです。
5_mini.jpg
戦う前のご一行


6_mini.jpg
約一時間後のご一行、戦いなんて無かったんや!!



石像になった記憶はそりゃあミュウツーさんの中では了解済みでしょうが
サトシさんの中ではまっさら、なかったことですよ。
「成長物語はどこへ?」「えっ、今までのお話って妄想、夢だったの?」と思われかねないようなオチである。

ミュウツーさん視点ならプラスですが、サトシさん視点なら完全にゼロですよゼロ。

ミュウツーさんとその他クローンの存在が
「人類、或いはサトシさん率いるご一行にとっては初めから無かったかのように扱われる世界」に戻るのであれば
クローンたちの「存在意義」に対する問いかけ自体が“主人公のサトシさん”やプロット上
無効化してしまうじゃん、くさいものには蓋かよ、成長物語なのにまっさらなのか
と幻滅してしまったんですね。

どうして完全に忘れた話が成長物語になるのかと。
そう、ここが問題なんです。


実はこの作品、ポケモン映画の中では人気が非常に高いんですよね。
提示されている題材自体は深いから確かにそれは分からなくもないです。
でもその後処理の仕方、特にラストがどうもマズかったので僕の中で引っかかってしまったんですね。


首藤剛志さんという方が、このポケモンの脚本を担当されていたことを知ったのは大分後で
Webアニメスタイル」というサイトでの連載「シナリオえーだば脚本術」を目にしてからです。


そこで「街角のメルヘン」というOVAが首藤さんの原点であることを知って、「ミュウツー」で僕が理解不足だった点が
分かるかもしれないと思って、拝見することにしました。



これを見て分かったのは、首藤さんの世界観の本質は「パラレルワールド」であるという点です。
ヴァージンVSのゴキゲンなナンバーによって彩られている「街角のメルヘン」は
ご覧になっていただければ分かる通り、演出もプロットも幾多の妄想に満ちています。

今までの出来事は現実にあったのか、少女の妄想だったのか、少年の描いた絵本の内容だったのか
ファジー、曖昧なまま物語は終わります。

もうお気づきでしょう、出来事が現実に起こったのか、起こっていなかったのか分からないまま終わる
この「街角のメルヘン」のラストは“サトシさん視点の”「ミュウツーの逆襲」のラストと共通のものなのです。

なるほど「街角のメルヘン」は主人公にとって最後全部が「まっさら」になってしまうけど
成長物語だったなと。

要は「クローンの存在意義」が「主人公のサトシさん」にとって有耶無耶になってしまったのは
つまり、“主人公にとって”平行世界として描いていたからなんですね。

「街角のメルヘン」はファンタジーであり、「創作と現実」がテーマだからファジーなのは一向に構わないけど
「クローン」という実存を描くのはそれじゃマズかったというのが真相だったのです。


で、ここからが今記事のメインディッシュです。
アニメファンの方は合点承知の助かもしれませんが、実はこの「街角のメルヘン」の監督西久保瑞穂さんは
押井守さんの同輩で、押井さんの作品の演出協力を度々しているんですね。

押井守さんと言えば現実と妄想の「虚実皮膜」の世界観が作家性としてよく取り上げられます。
(押井さんの作家性の本質についてはまた今度語りたいと思います・・・・)
そしてこの「街角のメルヘン」もまた、現実と妄想の境目が曖昧な作品であります。

更に押井さんの「うる星やつら」

やこの作品の音楽を担当しているヴァージンVSのボーカルあがた森魚さんは
虚実皮膜の世界観を有する作家、稲垣足穂さんの影響を受けていることをインタビューで答えています。※1




「街角のメルヘン」は「曖昧な現実と空想の境目」の表現をライフワークとしている三人が集結した
奇跡的な作品であり、それ故に佳作に仕上がったが
「ミュウツーの逆襲」がどこかチグハグしたまま終わったのは、「ポケモン」のスタッフが
別に「虚実皮膜」を生涯のテーマにしていた訳でもないことも要因の一つではないかと僕は思うのです。


そう言えば首藤さんが脚本を手がけられた「ミンキーモモ」は“夢”がテーマだったし、
最終回は今までの出来事を「パラレルワールドの出来事」として描いていましたね
なんだか生まれ変わりの話らしいですが。ということでお開き。
ミンキーモモ_mini







ミンキーモモ2_mini
ハマーンさんは関係ない








※1

あがた森魚インタビューより
http://musicshelf.jp/?mode=static&html=series_a12/index

>--あがたさんと稲垣足穂との出会いは、どんなものだったんですか?
>最初の最初は高校時代なんだけども、同級生が〈こんなヘンなのがあるよ〉って見せてくれたのが『一千一秒物語』だった。
>最初はよくわかんなかったし、奇妙な作家がいるなというのが第一印象だよね。
>(中略)
>そんななかで、気がつけば稲垣足穂がガーッと僕の前へ出てきた。
>坂口安吾と谷崎潤一郎と稲垣足穂、この3人に日本の近代文学のエッセンスが凝縮されているんじゃないかと思いますね。
>これは非常に勝手な主観だけど。

>--あがたさんの作品で稲垣足穂がキーワードとして全面に出て来たのは、80年代に入ってからのような気がします。
>今回、紙ジャケ再発されたヴァージンVSを始動させて以降というか。

>やっぱり、メカニカルなテクノロジーというのは何でこういうとこに来ちゃったんだろう、
>という疑問に対するひとつのリアクションとして、
>ニュー・ウェイヴと稲垣足穂を照らし合わせてもいいんじゃないかという気がしたんです。
>それと、これはいま喋りながらハッと気づいたんだけど、稲垣足穂が77年に死んでるんです。
>だからちょうどニュー・ウェイヴが立ち上がった頃なんですよね。
>僕は77年に“スターカッスル星の夜の爆発”っていう曲を作ってるんだけど
>それが稲垣足穂そのものを歌にして表現していくとっかかりになった曲なんです。
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テーマ : ポケモン
ジャンル : ゲーム

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No title

視点が的外れすぎてワロタ。
コラム読んでこい。

Re: No title

首藤さんのコラム「シナリオえーだば塾」なら記事にも書いてるとおり
ひと通り目を通しましたよ。
何か見落としてる点があったらご指摘とご鞭撻のほど、よろしくお願いします

Re: No title

コメントを参考に改訂しました。
ありがとうございましたm(_ _)m

No title

今更ですけど、それは勘違いじゃないですか?
ミュウツーの言った、我々の存在を知られない方がいいというのは、問題を起こさない為でしょう
至極現実的な話です
ジョーイさんが言った、今は生きているというのは
異なる存在であってもいいじゃない!今は生きているんだからそんなこと気にすんなよという哲学的な話じゃないんですか?

あ さんへ

コメントありがとうございます。

ミュウツーさんはともかく、首藤さんが主人公の成長物語としてポケモンを位置づけてるので
どちらかと言えば主人公の目線に依って書きました。
どうして主人公の成長物語なのに、まっさらな状態に戻したのかというと、勿論「あ」さんの言うとおりだと
思いますが、ここから首藤さんの作中に共通する作家性が逆算できるんじゃないかと考えたので。

コピーの話は文意が取りづらいですが
ジョーイさんは「コピーでもいいじゃない」と言いましたけど
ミュウツーさんは「コピーとしてではなく本物としてみてほしい」と言ってるという意味ですよ。
作中で「異なる存在でもいいじゃない」とはタケシさんも言ってなかった気がします。

No title

コメント返し、ありがとうございます

>>ジョーイさんは「コピーでもいいじゃない」と言いましたけど
>>ミュウツーさんは「コピーとしてではなく本物としてみてほしい」と言ってるという意味ですよ。

これについてですが、私はミュウツーが「コピーとしてではなく本物としてみてほしい」と言っているようには思いません、単純に解釈を間違っているように思います
ミュウツーは「本物になりたい」ではなく、あくまで「本当に実在する生き物として認めてもらえるように」という旨の言葉しか言っていません
私は「本当の自分を見て欲しい」=コピーの自分を否定するという事にはならないと思います
つまりミュウツーの達した結論は、「あくまで私はコピーだ、それは変えようの無い事実であり仕方が無い事だ。しかしそんな事は関係なくコピーとしてでも本物としてでもなく、生まれて来てしまったただ『一つの存在』として在りたい」と思えるようになったという事だと思います
これはコピーである自分を否定しているのではなく、認めた上で自分の在り方を決めているように思います

これはジョーイさんの「コピーでも本物でも関係ない、今は生きている」という言葉は、結局一つの存在として生まれてしまっているんだからいいじゃないという事なので、特にミュウツーの達した結論に矛盾していないと思います

しかし現実の世界はそうではなく難しい、だから実際にそうなる日が来るまで、今は姿を消す事にしました
サトシやそのポケモン達に、自分が望む自分の在り方が実現できる希望を感じたから

サトシ達の記憶を消したのは最後の「いるんだからいいじゃない」と台詞を言わせる為の演出として関わってきますし
何よりこれはミュウツーの物語であって、ミュウツーの逆襲という映画、出来事はミュウツーの為の物語だと首藤さんはおっしゃっていますよ
まあアニメ本編との兼ね合いもあるので後に尾を引くような終わり方が出来ないというのが一番だと思いますが・・・そんなしがらみの中でベストの終わり方をしたのではないかと思います
それに文句をつけるのはあまりにも制作側の事情を無視しすぎな気がします、ポケモンという巨大なコンテンツを背負いながら上手く一つの映画として終わらせるのも大変だと思いますよ
少し考えてみたのを殴り書いているので、間違っていたら申し訳ありません

あ さんへ

あ さんへ

コメントありがとうございます。

>「コピーでも本物でも関係ない、今は生きている」

関係ないというセリフはないです。更に「コピー“でも”」ではないです。

「本物だって、コピーだって・・・今は生きてる」です。
すごくニュアンス変わってしまいます。



>「いつかコピーをコピーとしてではなく、本当に存在する生き物として」
と首藤さんが明言されてるので「コピーとして“かつ”」や「コピーか本物かは関係なしに」ならともかく
やはり「コピーとして“ではなく”」なので、つまりコピー扱いの否定なので
コピーとして扱うのではマズイのではないかという結論となり
「本物」という言い方は変だったかもしれないですけど
コピー扱いのままにしたジョーイさんは、ミュウツーさんとは基本的に相容れないと思いますよ。

>あくまで私はコピーだ、それは変えようの無い事実であり仕方が無い事だ。
>しかしそんな事は関係なくコピーとしてでも本物としてでもなく、生まれて来てしまったただ『一つの存在』として在りたい

コピーとしてでも本物としてでもない存在として生きたいのならば
「本物だって、コピーだって今は生きてる」としたジョーイさんとは真反対になりますよ。
ジョーイさんは飽くまでも「コピーと本物」以外の存在、出してないですから。

「コピーでもいいじゃないか」ならいいのですが「コピーとしてではなく」ですから。

で、「本物」は口が滑りすぎました。「本当に存在する生き物」として訂正してください。
というより、本文中はちゃんと「本当に存在する生き物」って書いてますね。
大体あ さんに対する反論、全部本文中で終わってると思いますよ。

>何よりこれはミュウツーの物語であって、ミュウツーの逆襲という映画、出来事はミュウツーの為の物語だと首藤さんはおっしゃっていますよ

だからシリーズ全体の主人公であるサトシさんの「成長物語」と齟齬が出てきてしまったんじゃないでしょうか。
せっかく体張って争いを止めたのにな、と思いました。


>それに文句をつけるのはあまりにも制作側の事情を無視しすぎな気がします

だからこそ制作陣と首藤さんの作家性との連携でうまくいかない面があったのかなと思って
首藤さんの過去作を見返したんですよ。
あ さんのほうがうまく首藤さんの作家性の総括をできそうなら、それをやられるのがベストだと思いますよ。
「ミンキーモモ」や「街角のメルヘン」以外にも首藤さんの作品はあるので
新しい首藤さんの一面を発見してくださったら幸いです。


余談になりますが、カスミさんとサトシさんの間に恋愛感情はない
と首藤さんは明言されてましたが
これには秘密があって首藤さんの恋愛観が「三角関係」を礎にしてるからですね。

予めタケシさんとカスミさんが恋愛関係にあって、サトシさんがそこからカスミさんを奪う
みたいな展開だったら恋愛を描けたと思うのです。
「シナリオえーだば塾」の第一回から読めばわかりますよ。

改めてありがとうございました

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