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出崎統さんの“三回パン”(繰り返しショット)と“鳥”はどこから来たのか~アメリカンニューシネマとマキノ雅弘さんについて~

出崎統さんというと、「あしたのジョー」「宝島」「エースをねらえ!」「ベルサイユのばら」等々数々の名作を監督した方で、尚且つアニメーションに純粋に技法的な革命を起こした方であり、Wikipediaにその概要の殆どが掲載されている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%87%BA%E5%B4%8E%E7%B5%B1#.E6.A6.82.E8.A6.81_2

これを見ると結構実写映画から技法を取り入れていることに気がつく。
入射光が「イージーライダー」(1969年)からの影響であるのは、なるほどガテンがいった。
nyusyakou_rider.jpg


まっつねさん曰く出崎さんは自身が所属していた虫プロの「表現主義」(メタファーとメタモルフォーゼの二本柱)
の流れを汲む監督さんで
(山本暎一さん・鈴井ギザブローさん→出崎統さん→幾原邦彦さん・新房昭之さん→細田守さんという流れらしい)
(「出崎統の源流としての杉井ギサブロー~出崎・ウテナ・哀しみのベラドンナ」より)
http://d.hatena.ne.jp/mattune/20100108/1262954449

その「所謂虫プロ系の表現主義」の頂点かつ源流である「哀しみのベラドンナ」(1973年)のサバトのシークエンスが

アメリカンニューシネマ「イージーライダー」(1969年)のドラッグシーン、妄想シーンと近いからである。
drug_rider.jpg


(参考:shiwasu5さんの「出崎統について(3/3)アニ出崎編」より
http://shiwasu5.blog12.fc2.com/blog-entry-15.html
>で、アニ出崎の革命とは、この舞台をとっぱらちまったことだ、というのが、俺なりの理解である。
>グリフィスかエイゼンシュタインががんばっている時代に、デニス・ホッパーがいきなりバイクで乗り込んできた。
>それがアニ出崎だ。)


ちなみに映画版「アルジャーノンに花束を」(1968年)にも「イージーライダー」(1969年)と同じく妄想、ドラッグシーンが出てくる

おいおいこれ、あまりにも「虫プロ三部作」と風情が似てるんじゃねえの。
“虫プロとアメリカンニューシネマ”って論文が一本でっち上げられそうだな。
ていうか「哀しみのベラドンナ」(1973年)がビートルズさんの「イエローサブマリン」(1968年)の影響を受けてるから
どのみちこういう表現の源流って何かっていうと、ヒッピー、ドラッグに行き着いちゃうのよね・・・・おおう、もう・・・・

付け加えて言うと、アニメ界隈では有名な話だが劇場版エヴァのタイトル「まごころを君に」(1997年)はこの「アルジャーノンに花束を」(1968年)の日本公開時のタイトル。


・・・閑話休題・・・
直感的な話になるが“男を撮る感触”が出崎さんの作品群と「イージーライダー」(1969年)は近い。
入射光の表現と“男を撮る感触”は密接に関わっている気がする。
nyushakou_joe.jpg



「画面分割」は出崎さんより
bunkatsu_joe.jpg
むしろ富野さん謹製ガンダムの「コクピット芝居」の印象が強い。





僕が見た中で「画面分割」の技法を使っている最も古い映画は「パリの恋人」(1957年)であるが

(何故この監督のスタンリー・ドーネンさんがこの映画で画面分割を用いたかというと
多くの作品で共同監督と主演を務めていたジーン・ケリーさんの影響が多分にある。
彼は自分を中心にトリオで踊るのが好きだった。
ジーン・ケリー_mini
「パリの恋人」(1957年)では別々の場所に居る三人を同じ画面に収めるために画面分割を用いたと考えられる。
“三人組”は脚本を作る上でキャラ立てしやすいし、尚且つ画面の収まりがいいという特性もある。)




一番古いもので画面分割の技法を完成させた作品は「ナポレオン」(1927年)だそうだ。
102-1_mini.jpg
三時間もある映画なので見るのにどエラク根気がいる。


出崎さんは「グラン・プリ」(1966年)から手法を借用したと書かれているが
どうも「グランプリ」が発表された当時はシネスコや70mmのような大画面での収まりをよくするために使われていた事情もあったようだ。



じゃあ出崎さんの、繰り返しショット、俗に言う三回パンの技法はどこから来たのであろうかというと
「何かを真似して作った訳ではない。」とのこと。



しかし、先の2つの技法のように、実写映画では、古くから繰り返しショットの技法は使われていたようで
どうも先日監督作「次郎長三国志」シリーズが「One Piece」の尾田栄一郎さんの装丁でDVDBOX化した

マキノ雅弘さんがよく好んで用いていたようです。




以下は加藤幹郎さん著の「映画の領分」の「血煙高田馬場」(1937年)の解説からの引用。

DVD化していないものが大半なので未見の物が多くなる。



>ここで特筆すべきは阪東妻三郎の走りとその映画的表現である。
>本作では「パンつなぎ」と呼ばれる経済的な手法がその真価を最大限発揮している。
>「パンつなぎ」とは水平運動する被写体を同方向に短いパン(キャメラの首振り)で追った
>ショットを複数回つなげたものである。
>(そこでは果し合いの場、高田馬場をめざして画面を駆けぬける阪妻の勇姿が複数回つなげられる。)

>(中略)
>なお映画学者=批評家デイヴィッド・ボードウェルは「パンつなぎ」の卓抜な応用例として
>『姿三四郎』(黒澤明 1943)における日本柔術界を震撼させた必殺技「パンつなぎ投げ」を
>論じている。
>また『血煙高田馬場』の「パンつなぎ」走法は、のちに東映時代劇がそのマニエリスムのピークをむかえる時期
>に中島貞夫という不世出の天才によって『くの一化粧』(1964)へと正しく継承されることになる
>(中島貞夫は一時期、マキノ雅弘の助監督をつとめていた。)



“経済的な手法”という点に注目していただきたい。
なぜなら出崎さんの三回パンも、止め画も「リミテッドアニメーション」という虫プロの省力体制から
生まれたという側面もあることは否めないからだ。





続いて、CinemagaziNet vol.14内の
羽鳥隆英さんの 運命《線》上に踊る男と女 マキノ雅弘『いれずみ半太郎』(1963年)分析という文章からも
http://www.cmn.hs.h.kyoto-u.ac.jp/CMN14/hatori-article-2010.htmlより。)




>実際、『血煙高田馬場』(1937年)の阪東妻三郎が見せるあまりにも有名な疾走の陰に隠れてはいるものの
>マキノ雅弘作品における《パン繋ぎ》の被写体とはしばしば女性
>それも男性中心主義の抑圧下で精神の危機に立たされたヒロインたちである。
無題_mini
(いれずみ半太郎より、パンつなぎのシーン)
>『婦系図』前後編(1942年)での芸者(山田五十鈴)が自分を恩師(古川緑波)の命令で捨てた
>恋人(長谷川一夫)の旅立ちを駅舎で陰ながら見送る場面、
>『肉体の門』(1947年)での少女(月丘千秋)が与太者(田端義夫)に
>貞操を奪われて街中を走る場面などがすぐにも想起される
>(マキノはTV版『刺青奇偶』の同じ場面でも《パン繋ぎ》を用いている)。
>その意味では《パン繋ぎ》とは本来メロドラマのための手法である。
>実際、『血煙高田馬場』での《パン繋ぎ》が「永遠に現在進行形の運動[中略]運動下にある運動」を提示するのとは
>対照的に、女性たちの疾走はメロドラマ的な情動に満ちている。
>それはフィルムの裁断を通じてヒロインの身体を裁断し
>メロドラマに特有の「身体の表現主義的な美学」の等価物を実現するのである。
>さらに言えば、ヒロインを被写体とする《パン繋ぎ》がしばしば明暗の対照を強調した照明設計を伴うのも
>(『続清水港』[1940年]、『肉体の門』、『いれずみ半太郎』)
>メロドラマと表現主義との親和性を考慮すれば当然であろう。



「いれずみ半太郎」以外は未見であるが
「明暗の対照を強調した照明設計」と「メロドラマと表現主義との親和性」に注目したい。
出崎さんは明暗のコントラストを強調した表現手法を確立した人であり

「メロドラマ」を持ち味にしていた人だからである。




「Air」「CLANNAD」を撮ったのも実のところ「男性型メロドラマ」に興味があったからではないかと予想する。
           

そんなわけで、マキノ雅弘さん→出崎統さんという奇妙な系譜が浮き上がってくることになる。

※1

出崎さんはきちんと元ネタの映像作品を明らかにしている方なので
「過去にそれらの作品を見たことがない」と言っている限り
本当に自分の手で「繰り返しショット」を発明したのだと思う。
仮に過去にそれらの作品を目にしていたとするならば


(1)見たのが幼少期だったので忘れている
戦前の話になるかもしれないが、かつての時代劇はジャリガキ向けの娯楽だったと色川武大さんは
「なつかしい芸人たち」の中で語っている。

(だから、40年後アニメが老人のための娯楽になっても全然驚かない。)

更に出崎統さんの兄出崎哲さんは、統さんが昔から映画好きだったことを証言している。

その無意識下にある映画体験を用いて、三回パンを発明したのではないかと思われる。

(2)大人になってから見たが、名前を忘れている

ふらっと入った映画館で目にしたものを取り入れたのかもしれない。

(3)ポルノ映画「くノ一化粧」(1964年)から真似したとは言いづらい

・・・まあタチの悪い冗談だと思ってください(汗)


(4)マキノさんの手法を勝間田具治さんから教わった。杉井さんが勝間田さんから教わったものを出崎さんに伝えた。
そしてそれを忘れてしまった。。。。

これが妥当かな・・・?



の四つが可能性として挙げられる。
四つの合わせ技かもしれないけど。



出崎さんが「エースをねらえ!」で繰り返しショットを初めて用いたその後に
三村晴彦さんが監督した「天城越え」(1983年)という作品が出ている。
松本清張さんの作品で社会派というよりは、色恋沙汰を中心に描いた作品で
(ていうか清張さんの映画作品は色恋中心になるよね)で
これもまた「感情の反復」という形で「繰り返しショット」が使われている。
(途中でカットがはいってごめんね)



更に出崎さんの作家性と言うべき“鳩”という存在も登場している。

(「アニメと出崎と鳥」より)
http://d.hatena.ne.jp/mattune/20100110/1263083823
>かつては出崎といえば「止め絵と三回PANとカモメ」と言われるくらいの
>カモメの使い手として有名でした。



えっと脇道に反れるけど、この「鳩」、「鴎」問題ってアニメだけじゃなくて映画にもあって
更に映画監督のジョン・ウーさんの作家性にも関わってくる話なのね。(ジョン・ウー 鳩でググろう!)
調べたら、ジョン・ウーさんは深作欣二さんのような東映ヤクザ映画の影響を受けているんですね。
深作さんの映画で“鳩”は見たことないけど
同じ東映ヤクザ映画の舛田利雄さんの映画「無頼より 大幹部」(1968年)には登場する。

いやこれ未見だけど、カラオケで「くちなしの花」歌ってたらでてきたのよね

驚いたことに、舛田利雄さんは「宇宙戦艦ヤマト」(1977年)(!!)の監督でもあって
さらに「宇宙戦艦ヤマト」のスタッフは虫プロ系の人が多く、「哀しみのベラドンナ」(1973年)の
山本暎一さんも関わっていたという。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%87%E5%AE%99%E6%88%A6%E8%89%A6%E3%83%A4%E3%83%9E%E3%83%88#.E5.8A.87.E5.A0.B4.E6.98.A0.E7.94.BB

無理矢理つなげるなら
舛田利雄さんの鳩→宇宙戦艦ヤマトのコスモタイガーの表現

→虫プロ系の山本暎一さん等→出崎さんの鳩、鴎
となるのだろうか・・・ううむ・・・・

更にややこしいことに舛田利雄さんは、初期の石原裕次郎さん主演の映画に関わっていて
裕次郎さんのデビュー作「狂った果実」(1956年)(これは中平康さんが監督していて鳩や鴎は出てこない。)
の影響を受けて出来た「去年の夏」(1969年)という映画には鴎の鳥葬が出てくる・・・・

町山智浩さんの「トラウマ映画館」に依れば、この映画の撮影では実際に鴎が何匹か死んで
出演した、バーバラ・ハーシーさんは一時期名前を“シーガル”(=かもめ)に変えたんだってよ!


う~ん、誰かこの辺に詳しい方は教えてください・・・・



まあそんなこんなで
マキノ雅彦さん→出崎統さん→三村晴彦さん
という奇橋な系譜が存在するのかどうかは謎である。
ていうか三村晴彦さんテレビばっかりで、これ以降あんまり映画撮ってないのよね。


日本映画からも外国映画からも膨大に引用してしまくってしまったが
出崎統さんは優れたアニメ作家というだけでなく
「アメリカンニューシネマ」や「邦画」の“あり得た未来”であり
分化した発展形、異常進化形態(!?)としても評価されるべきなのかもしれない!
(おおう、大きくでたなあ・・・・)

まとめるなら出崎さんの演出は
手塚治虫さんのメタモルフォーゼ+アメリカンニューシネマ+マキノ雅彦さん系列の邦画
なのかも、ということでお開き。



追記:おっといけない!出崎さんの多くの作品(「ベルサイユのばら」、「あしたのジョー2」、「スペースコブラ」、「白鯨伝説」・・・・で音楽監督を務めた鈴木清司さんの存在を忘れちゃいけないぜ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%88%B4%E6%9C%A8%E6%B8%85%E5%8F%B8

「傷だらけの天使」「探偵物語」「蘇える金狼」「野獣死すべし」・・・・
出崎さんの作品の「ハードボイルドの素」は鈴木さんにある気がする。
そして鈴木さんの存在こそが出崎さんの作家性を深化させる重要なカギだったのではないかという仮説があるのだが・・・・・


(まっつねさんの 2000年代の出崎アニメより)
http://d.hatena.ne.jp/mattune/20110516/1305551551

>俺の2000年代の出崎アニメもそれらにまったく劣っていない
>いや、勝っているとすら、俺は思う。
>(中略)
>原作が、人の醜さを描いたとすれば、
>出崎は人の美しさと、過ちの取り返しのつかなさを表現した。
>あれだけの良い人が全力で応援したにも関わらず、
>それでも救えない。
>人の過ちはそれでも取り返すことはできない。
>これは、たった今、2011年5月も同様であろうという意味でも、
>興味深い。

(また、まっつねさんの(度々本当にスミマセン・・・) 2000年代の出崎アニメその2より)
http://d.hatena.ne.jp/mattune/20110519/1305818560

>この作品の見どころは
>出崎監督の中の「父親像」の変化を感じれることだ。
>出崎監督の描く「父親」あるいは「父親代わりの人間」というのは
>非常に魅力的で理想的で超人的なオヤジであった。
>丹下段平・ジョンシルバー・ビタリス・ブラックジャック
>宗方コーチもある意味ではここに入るかもしれない。
>しかし、アトム誕生で描かれる「父親」は魅力的で理想的なオヤジではなかった。
>情けなく、現実的で、無力。
>ここには出崎監督の心境の変化がありありと描かれている。
>今までは母子家庭で育った出崎監督が、
>理想的な父親を夢想し
>それを描いてきた。
>持たないがゆえの憧れ。
>ではなぜ。
>それは出崎監督もまた「父親」になったからではないか、と思う。
>夢想した「父親像」と、「父親」としての自分自身のギャップ。
>出崎監督のインタビューで、彼もまた「父親」になっていた事が
>伺えるものがある。

それは、また別の機会に。


※1

(という風に・・マキノ雅彦さん→杉井ギサブローさん・山本暎一さん・出崎統さん→幾原邦彦さん→細田守さん・・・・)
と単純に辿れるのならいいが、そうは問屋は卸さない。

前々から「少女革命ウテナ」の橋本カツヨさんこと細田守さん自身が指摘していたのですが
何やら事態は複雑なようで、幾原さんは「虫プロ系」ではなく、「東映系」の方だという・・・・

(アニメ映画がリアリティーを獲得する時より)
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/418?page=1
>あともう一つ、東映動画で育った僕にとって、師匠は幾原邦彦(44、「美少女戦士セーラームーン」)さんでした。
>幾原さんの師匠は山内重保(56、「聖闘士星矢」)さん。
>山内さんの師匠は勝間田具治(ともはる、71、「狼少年ケン」「サイボーグ009」)さん。
>そして勝間田さんの師匠が、マキノ雅弘さんでしょう。

Wikipediaで見る限り、マキノ雅弘さんは“製作会社渡り鳥”で
マキノ・プロダクション→日活→東宝、松竹等→東映(晩年)
という風になっていて18歳でデビューし、64歳まで261本もの監督作を残したことが
事態を複雑にしている由縁であるかもしれない。

更に勝間田さんが出崎さんが影響を受けたという
「佐武と市捕物控」のスタッフに関わっているというのも
事態を混乱させている、うう・・・頭が痛い。

(まっつねさんの「出崎の断片収拾~どろろと佐武市」より)
http://d.hatena.ne.jp/mattune/20101209/1291846821

>出崎演出は、出崎さんがいきなり発明したわけではない。
>出崎演出は、真崎守さんと村野守美さんが演出の話数の
>「佐武と市捕物控」の影響下にあることを知る人は少ない。
>同じ時期に出崎さんが演出を担当していた「どろろ」では、
>のちの突き抜けた演出スタイルは構築されていない。
>約2時間前 Saezuriから)
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テーマ : アニメ
ジャンル : アニメ・コミック

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