スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

「あの夏、いちばん静かな海」と”浅草キッド”について

ビートたけしさんは大学を中退してからは
相当回り道をされていたそうで
一時期は※1永山則夫さんがボーイを勤めていた
カフェの店員や古新聞回収の仕事等を転々としていたそうだ。
野球選手になりたかったそうだが、なれるツテもなく、なり方も分からなく
偶々目に留まった演芸場の看板を見て芸人になることを決意した。

芸人になりたいと言っても、当時の演芸場にはもうお客さんがあまり来なくなっており
幕間のストリップによってようやく客を確保している状況であった。
先輩の芸人さんで役や演目が埋まっている以上
文字通りたけしさんの出る幕は無い。
仕方無しにフランス座で進行係やエレベーターのベルボーイを勤めていた。

この時のたけしさんを井上ひさしさんは「不機嫌そうな青年」と評している。


ベルボーイをやったものの、このままじゃどうしようも無い。
考えたたけしさんは、フランス座の座長である深見千三郎さんに弟子入りを嘆願することにした。





 深見さんは、姉が杉狂児さんと一緒に「うちの女房にゃ髭がある」
を歌われていた芸者さんの美ち奴さんということもあり

幼い頃から芸事に慣れ親しんでおり、若干22歳で一座を旗揚げ。
その後は浅草の小屋で活動を続けた。




僕は当然のことながら舞台を観たことがないので分からないが
「ストリップを出せ」と野次を飛ばしていた客に一喝し
笑いが生まれづらい状況になってしまったにもかかわらず気にせず舞台を続け
最終的に客の全員を爆笑させることに成功させた
という逸話が残っているくらいの人だから
すごい芸人であったことに違いはないだろう。
片手を事故で失くしたためか、終生舞台にこだわりテレビには一切でなかった。



たけしさんは彼に弟子入りをしたかったが、楽屋には伺い難かった。
深見さんがエレベーターに乗って帰るときを見計らって、
何度も何度も弟子入りを志願した。
一月、二月経ったある日、いつものように弟子入りを嘆願すると
深見さんがボソッと
「お前、芸あるのかよ、芸が無かったら舞台立てねえぞ」と呟き
軽やかにタップダンスを踏んでみせた。そして一言
「簡単なやつ教えっからこれをそこで練習してな」
と軽めのタップダンスを踏んだ。

その日からエレベーターの中で
たけしさんはそのタップダンスをエレベーターの中で踏み続けた。
本には書かれていないが
タップダンスの練習中に客が入ってきて気まずい思いをしたり、先輩芸人に
「あんな場所でよくやるよwあいつ」
と軽口を叩かれたこともあったのではないかと想像する。

 一通りステップを覚えたら帰り際の深見さんにそれを見せて
OKを貰ったら次のステップを教えてもらう。
そういうことの繰り返しを経てある程度のレベルに達したときに
「お前、次からは教室通って習えや
タップシューズも受講料も金は俺が負担するから」とお墨付きを貰い
たけしさんは教室に通えるようになった。

そんなことを続けていたある日
舞台に出るはずの先輩芸人が女と一緒に蒸発してしまい
「お前が穴埋めしろ」と深見さんに言われて急遽たけしさんはオカマの役をやることになった。
ともかく変な格好していたら客は笑うだろうと考えて
ごってりとチークと紅を塗りたくっていたら深見さんにはたかれた。

「お前、馬鹿か。顔がおかしいだけの奴だったらそこらにいくらでもいるだろう。
第一オカマってのは自分を綺麗にしよう綺麗にしようとしてメイクするんだ。
こんど変な化粧したら承知しねえぞ
客に笑われてどうする、笑わせるんだ。」
たけしさんは言われたとおりに化粧をやり直した。
舞台は成功とは言いがたかったが何とか終えたそうだ。

 その後はたけしさんも度々演目に出るようになり
深見さんとの師弟関係もそれにつれて深まっていった。
深見さんとたけしさんは非常にウマが合ったそうだ。
よくご飯にも連れて行かれ、服装や芸についても教えてもらった。
あの語り口調は完全に師匠から受け継いだものであるらしい。

しかし、二人は最終的に袂を分かつことになる。
前述の通り浅草の演芸場は完全に衰微期で
頼みのストリップもトルコ風呂(ソープランド)の普及によって客をとられ
演者への給与は滞りがちに。
フランス座の衰退と給与体制を不安に思ったたけしさんは
兼子二郎さん(ビートきよしさん)に
「テレビに出れるから」「食っていけるから」と誘われて
今までのコント一筋の姿勢を捨て漫才を嫌々ながらもはじめることになる。

「しゃべくりの漫才なんか芸じゃない」と主張する深見さんは
たけしさんに対して破門を言い渡すこととなった・・・・・

その後のたけしさんの目覚しい活躍は周知の通りである。
きよしさんと組んだ漫才コンビ“ツービート”は
たけしさんの、きよしさんを無視した一方的なしゃべくりが
「毒ガス漫才」として認知されることとなり
世間では大きな笑いを生むと同時に大きな反感を買う。

かつて自分を見下してたであろう先輩達もたけしさんの腕を認めるようになる。
しかし、認めるあまりに「あんたの漫才を見て俺芸人やめちゃた。」
と辞めていく諦めていく先輩も居てたけしさんとしては辛かったみたいだ。
(誰でもピカソというテレビ番組で語っていた)
漫才師としてトップを極めた後も
B&Bの島田洋七さんには敵わなかったと語っている。

あの夏、いちばん静かな海」は
これらの出来事や人物を「海辺のサーフィン」に置き換えて語っている。



主人公の聾唖の青年はもちろん北野武さん。
snapshot_dvd_00.01.37_[2012.06.01_01.10.19]_R_compressed



海は演芸場の舞台であり
snapshot_dvd_00.14.09_[2012.06.01_02.21.09]_R_compressed



砂浜は芸人たちの溜まる楽屋である。
snapshot_dvd_00.13.22_[2012.06.01_02.11.52]_R_compressed



普通、“海”というと凡百の映画監督は海の広がりを撮りたがるのだが
ここではきっちりサーフを見せる場
即ち芸を魅せる場、舞台として撮られており
そのセンスにも僕は大変驚かされた。
snapshot_dvd_00.14.21_[2012.06.01_02.23.03]_R_compressed


主人公を馬鹿にしていた先輩達が彼を見直し先輩を追い越してしまうのは
漫才師時代のたけしさんのエピソードと符号している。
snapshot_dvd_01.23.06_[2012.06.01_03.34.59]_R_compressed


どれだけ努力しても追いつけなかったサーファーは恐らく
B&B※2かWヤングのお二方の暗喩だろう。


snapshot_dvd_01.21.46_[2012.06.01_03.33.52]_R_compressed

snapshot_dvd_00.55.17_[2012.06.01_02.58.35]_R_compressed

snapshot_dvd_01.24.19_[2012.06.01_03.35.52]_R_compressed






・・・金髪のサーファーは、本来ならアフロヘアーじゃないといけないのかもしれないが
それじゃあサーファーらしく見えないとの事で金髪にしたのだろう。
afuro.jpg
小野田さんは関係ない、本当に関係ない



この映画のラストがカーテンコールになっているのは
「演芸場での出来事」が基底となっているので当然の帰結である。

snapshot_dvd_01.35.49_[2012.06.01_03.37.42]_R_compressed

snapshot_dvd_01.36.05_[2012.06.01_03.38.21]_R_compressed

snapshot_dvd_01.36.13_[2012.06.01_03.38.38]_R_compressed





そして、サーフボード店の店主は明らかに
深見千三郎さんを意識して作られたキャラクターだ・・・・・

snapshot_dvd_00.42.55_[2012.06.01_02.36.01]_R_compressed

snapshot_dvd_00.56.17_[2012.06.01_03.00.44]_R_compressed

snapshot_dvd_01.02.16_[2012.06.01_03.21.31]_R_compressed


深見さんは、破門を言い渡した後もたけしさんのことを気に掛け
ツービートの漫才がテレビでかかる度にチェックしては
文句を言ったり褒めたりしていたそうだ。また、たけしさんも師匠のことが気にかかり
売れてからもちょくちょくフランス座に顔を出しに行っては

「手前、破門にしたじゃねえか、来るんじゃねえ馬鹿野郎
お前腹減ってねえか、よしラーメン食いに行こう。
馬鹿野郎!楽屋に居座られちゃ困るから外に出ようっつってんだよ。」
と“歓迎”の言葉を貰っていたそうだ。(ツンデレ?)
公式に破門を解かれてからの二人の交流は益々深まり
まるで実の親子のようであったといわれている。

 その後、深見さんはフランス座の経営がとうとう立ち行かなくなったため
(最後のほうは踊り子の奥さんが芸者稼業で支えていた)、芸人を引退。
弟子に勧められて化粧品の会社に入るが
奥さんを亡くした後は糸が切れてしまったのか、その数ヵ月後に後を追うようにして
“タバコの不始末による事故死”を遂げた。

たけしさんはひょうきん族の収録前の楽屋で訃報を聞き
呆然と佇んだ後に、師匠に教わったタップダンスを知らず知らずに踏んでいたとのこと。

今や北野武さんは押しも押されぬ名監督で
海外でもその名が知れ渡っているが
あの夏、いちばん静かな海。」が日本の批評家や文化人達に評価されて
一番喜んでいるのは天国の深見さんじゃないのかと思う。

この作品は“世界のキタノ”の名作としてだけでなく
芸人”ビートたけし”さんの著書「浅草キッド」の
“B面”としても見直されるべきなんじゃないかと思います。








あの夏、いちばん静かな海。」は
主人公が一言もしゃべらない映画だったが
主人公が「よしなさい」しか言わない「あの夏、いちばんうなずきな海。」
というパロディを撮ってみたい。もちろん主演はきよしさんで
ということでお開き。

 






※1


貧窮の為にピストルで殺人を犯した死刑囚。
獄中で書いた詩や文章が評価され
友川かずきさんというフォークシンガーによってその詩は曲をつけられ歌われている。



※2


B&Bとは島田洋七さん島田洋八さんで結成された漫才コンビ。当時漫才といえば、双方が互いに言葉を掛け合うという、文字通り掛け合い漫才の様式を踏襲したもので
具体的に言うとボケとツッコミの台詞の分量が均衡しているものが大半であった。
さらに言うと台詞のテンポもゆったりと聞きやすいもので
衣装も古めかしい蝶ネクタイにポマードべったり
羽織っているのは派手なタキシードというのがセオリーであった。

その様式を崩して、ボケとツッコミの台詞の分量を99:1にし
しゃべりのテンポもBPM=150にして
衣装も(当時の)若者らしくTシャツ一枚、ジーパン一枚で登場したのがB&Bであった。
このスタイルを踏襲したのが、ツービート、紳助・竜介のコンビである。

以下はyabuniramiさんの「ダウンタウンのこと」の記事より

>ダウンタウンがデビューする数年前
>昭和55~56年頃に空前の漫才ブームというのがありました。
>このブームの中心となったのが
>関西ではザ・ぼんちと紳助・竜介、関東ではツービートということになると思いますが
>当時の感覚からすれば、ブームを引っ張っていってたのは間違いなくB&Bでした。
>(やすきよは別格扱いだった)
>ブームになる前から、先輩後輩問わず
>他の漫才コンビがこぞって舞台袖でみていたというB&Bの漫才は革新的なもので
>何が革新的かといえばそのスピードです。

>おそらく今の若い人が当時のB&Bの漫才をみたらビックリするんじゃないでしょうか。
>とにかく速い。音楽でいえばゴアテクノぐらい速いのです。
>既存の漫才コンビがBPM70~100ぐらいの時に、ゆうに150をこえてるんだから
>そりゃ目立って当然です。
>正直にいうと、アタシはB&Bをあまり好きではありませんでした。
>でもこのスピード感は他の若手漫才コンビにも多大な影響をあたえとおぼしいのです。

http://yabuniramijapantiny2.blogspot.jp/2011/12/blog-post.html
スポンサーサイト

テーマ : 日本映画
ジャンル : 映画

コメントの投稿

非公開コメント

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

Re: 動画を見る方法

遅れてすみません
動画変更しました
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。